住育のすすめ 14「ロクな家はない。マシな家はある」

※この記事は、『住育のすすめ~住まいを考える50の方法~』(竹島靖著/角川SSC新書/2007年刊)を1節ごとにご紹介していくコンテンツです。

第3章 買う・借りる。

中古や賃貸で、かしこいリスク回避。

14 ロクな家はない。マシな家はある。

 時間という川を遡上し、記憶という森へ足を運ぶ。こうやって枝葉の一つ一つを手にとって検証しているうち、いまでも手のひらが汗ばんできたり、鼓動が速くなる。2005年4月、持ち家プロジェクト開始。2006年2月、引っ越し。あれは過酷で凄絶な一年でした。地雷原を横目に見ながら薄氷を渡るような。

 これから書き起こそうとするのは、わたしの持ち家プロジェクトの全貌です。どんな住まいの形態を選んだか。どんな物件や事件に遭遇し、どう決断を下したのか。そして、どう夫婦ゲンカしたか。追体験したうえで転ばぬ先のチエとしてください。では、時計の針を逆に回し、2005年4月の東京へ。

 やがて、わたしの出した仮説はこうでした。中古の一戸建て住宅を中心にチェックしよう。それは、家族の生命財産を守る自衛手段でもありました。そのときにつくった、家探しのコンセプトが「ロクな家はない。マシな家はある」。予算や広さなど希望条件を夫婦ですり合わせし、A4の紙にプリントアウトしました。印象に残っているのは6軒。

 まず1軒目です。F駅徒歩圏の木造軸組3階建て。ビルトイン車庫つき。違法建築で、おそらく構造に問題がある。そう妻に説明しても彼女は不服です。わたしは専門家によるインスペクションを依頼するべく動きました。訪れたのは、K駅近くのS事務所。

「わたしとしては、購入を検討するならば、せめて現況図をおこし、構造計算をおこない、サーモグラフィーなどの非破壊検査でいいから可能な限り調査しないとこわいです」

「調査は残念ながらお受けできません。図面もない。点検口もない。そんな物件です。ファイバースコープやサーモグラフィーを使っても、すべて精査できるわけではありません。あなたの言っていることは正しい。やがては、それが当たり前になるでしょう。しかしあなたはいま、まちがいなく少数派です」

 わたしは次をあたりました。建築家による現地調査。依頼してすぐのことでした。不動産業者から連絡があり、物件の購入希望者が現れたという旨。現地調査は中止しました。教訓。多くの生活者は構造に興味がない。違法建築が堂々と情報誌に掲載され、売買されている。わたしは少数派で、しかしまちがってはいないらしい。

 2軒目です。S町の中古住宅で木造軸組3階建て。ここは、立地に難がありました。E駅近くの地盤のコンサルタント会社Gを訪れ地盤データを入手。さらに、いろんな資料にあたりました。『あなたのまちの地域危険度』(東京都都市計画局)、『あなたの命を守る大地震東京危険度マップ』(中林一樹監修/朝日出版社)。さらに都庁を訪れて「東京直下地震の液状化予想図」を見つけました。図書館では、関東大震災のときの現地周辺の被害地図を発見。顕著な被害が地盤に出ていました。さらに、当該地の古い地図で時をさかのぼると、そこは倉庫だったようです。土壌汚染という言葉が頭をよぎります。区役所の窓口で調べても、危険な薬品を保管していたなどの情報はつかめません。物件のまわりを歩くと、すぐ裏手に火気厳禁の薬品を保管した工場があります。立地に関する情報を総合し、ボツにしました。妻は、大いに不服でした。

 3軒目はN町の建売住宅です。木造軸組2階建て。I駅から徒歩22分。物件の外から見上げると高圧線が真上を通っています。道路をはさんだむこうはビニールハウス。妻は妊婦で長男は3歳。電磁波や農薬は、なるべく避けたい要素。断りました。

 4軒目はM町の競売物件です。築5年の木造軸組3階建ての注文住宅。床下点検口も設計図書もありません。しかも購入後に、あと1部屋の増築を検討したい間取りです。設計した建築士に連絡がとれ、現況をチェックしてもらいました。耐震強度は0.756。不動産コンサルタントの助言もあり、申し込んでみました。で、結末は意外なものでした。なんとローンが組めません。M銀行で事前に審査してもらっており、そのときはローン可能という返答でした。不動産コンサルタントいわく、「M銀行の審査基準が変更になった。自営業の査定が厳しくなった」。彼も銀行のやり方に不満を持っていましたが、やむをえません。ただ、もしローン審査が通ってもわたしはハンコをおさなかったと思います。やはり、違法建築しなければ増床できない物件はパスします。

 5軒目はI駅徒歩5分の建売住宅です。木造軸組2階建て。あるとき床下点検口から奥のほうを覗いたら、断熱材がぶら下がっていました。不動産コンサルタントとともに図面を精査。耐力壁のボリュームやバランス。基礎の高さ300㎜という法規ギリギリで余裕のない設計。10年保証が第三者保証でなく自社保証という点。マイナスポイントの多くが不動産コンサルタントと重なり、断りました。

 6軒目はM町徒歩14分の築8年の木造軸組2階建て。総2階で屋根は切妻。庭にミカンの木が植えられていました。広さや間取り、オーケーです。日当たり風通し良好。なんと、設計図があって完了検査まで受けています。家の内外をチェックしても、目立った問題は発見できません。オーナーの女性は、庭のミカンを1個もいで持たせてくれました。見学の帰りに妻の意向を確認し、購入希望の旨を関係者へ伝えました。帰宅して家族でミカンをいただきました。その後しばらく、3歳の長男はここを「ミカンの家」と呼んでいました。やっと物件探しから解放される。そう思いました。「債権ついているけれど、問題なく抹消できると思いますよ」。不動産コンサルタントは軽い口調で言いました。

 じつはこの見学の前、チラシ情報をもとにして一通り周辺の調査は終えていました。自分なりにノウハウを確立していたわけです。そのころ、物件探しのタイムリミットが近づいていました。直近に迫る長男の幼稚園選び。数か月後には妻の出産。もう時間がない。「オレが決めてやる」と、物件探しに必死でした。そして2005年10月、物件探しの終息。残念ながら、それは泥沼の日々の始まりでした。

 わたしの持ち家プロジェクトは、いくつか難点がありました。①長男の幼稚園選び問題。幼稚園を選び、申し込むという作業が秋に控えていました。②妻が夏に妊娠しました。2人目が欲しいという、彼女の希望通りとはいえタイミング的にきつかったです。物件探し、資金の用意、3歳の長男の世話。いろんなことがいっぺんに進行し、彼女はつらそうでした。おたがいの置かれた状況を斟酌し、いたわりあう必要は分かっていました。しかし物件を見るたびに、そして断るたびに夫婦ゲンカ。そのたびにわたしは自分の包容力のなさを実感し、自己嫌悪へ沈みました。③わたしのローン問題。45歳は、ローンの組めるぎりぎりの年齢に感じました。ぶじR銀行が受けてくれましたけど、金利の値上げも秒読みでした。持ち家の最初で最後のチャンス。④住まいに関する知識や見識を獲得するほど、納得いく物件が見つかりません。疑心暗鬼。10月には、耐震強度偽装問題が発覚。あらためて不動産業界や建設業界に対し、一種の恐怖を覚えました。深い淵。

「ミカンの家」に正式な申し込みをおこないました。曜日や日時を変えて、つごう20回ほど周辺をチェック。閑静な立地です。不動産コンサルタントは言いました。「売り主側の業者は、日本一の不動産業者だから、だいじょうぶです」。わたしは安堵感に満たされていました。もうすぐプロジェクトが終わる。長かった。

 その後、途中まで作業はスムーズに進捗しているように見えました。しかし、なんと債権が抹消できません。自己破産して家を処分する「ミカンの家」オーナーの雇った弁護士が、債権者とモメている様子です。予定していた契約日が再三再四、変更につぐ変更。そのたびに妻とわたしは口論です。当初の楽勝ムードはどこへやら、難度の高い売買契約の様相。やがて年内の引っ越しが不可能と確定しました。当初の引っ越し予定日を過ぎ、段ボールに囲まれ、残代金決済の日程が決まらず、じりじりと年末から年始を過ごしました。耐震強度偽装問題が話題になり、検査機関の能力さえ検査しなければいけない現実をあらためて知りました。段ボールでマンションの部屋は狭くなり、妻のお腹は大きくなり、金利アップのニュースが流れてきます。あの「ミカンの家」を探して決めたのはわたしです。毎日が針のムシロ。イヤでも段ボールが目に入ります。

 2005年12月。クリスマスを控えたころ「既存住宅性能表示」を利用し、「ミカンの家」を検査しました。妻は、耐震強度偽装問題のせいかインスペクション(建物調査)の重要性を感じたようです。およそ20万円を捻出してくれました。当日の検査では、不同沈下、雨漏り、シロアリは発見できませんでした。契約を白紙撤回するような大問題はないようでした。肩の荷が1つおりた感じです。立ち会った3時間を脳裏にトレースすると、いま思い出しても心臓バクバクです。

 2006年1月。「ミカンの家」のオーナーが雇った弁護士は畑違いだったらしく、債権の抹消が進みません。どうやら、過去に行政処分を受けた金融業者S社と感情的なトラブルに発展しているようです。鳥は飛ぶ。魚は泳ぐ。弁護士だって、すべての分野に通暁しているわけではありません。そう身にしみました。高飛車で横柄な弁護士らしい。このまま膠着状態が続けば競売になります。ローンも組める、建物もチェックした、それなのに契約が流れて段ボールから中身を取り出すハメになるかもしれない。段ボールに囲まれたマンションの部屋で、わたしは頭を抱え、妻はお腹をさすり、長男は走り回っていました。

 ある日、不動産コンサルタントが提案してきました。「残念ですが、この物件はあきらめてはどうか」。わたしは答えました。「これが流れたら、あのお腹ですよ、いまさら物件探し行けません。子どもが生まれたら、文字通り身動きがとれません。なんとか、この物件決めてください」。2005年12月から2006年2月にかけて。あの70日間はホントに悪夢でした。

 買う意志も能力もある。それなのに買えないなんて。契約が流れたら競売に出されるなんて。ジョークだろ。わたしも妻も、何度か別の部屋で泣きました。

 やがて、ついにその日がきました。モメていた金融業者が債権抹消に応じることになりました。わたしの推察ですが、この契約から弁護士を外したのでしょう。残代金決済は、2月10日に決まりました。それを受けて引っ越し業者に再手配。妻の実家へ連絡をとり引っ越しの応援を依頼。

 2月10日。わたしは、この日を一生忘れないでしょう。午前11時、R銀行K支店で残代金決済がスタート。はす向かいには、メガネをかけた問題の金融業者が座っています。クールにいこう。ハンコをおすたびに「ミカンの家」が近づいてきました。

 2月12日、引っ越し。

 2月13日、わたしの誕生日で46歳。

 4月11日、長男が幼稚園に入園。

 4月13日、長女を出産。

 持ち家プロジェクトのフェイズ1は、こうして収束。なぜフェイズ1なのか。それは、この話には続きがあるからです。戦後は、つねに、戦前だった。また再び、わたしは信じられない事実に直面し、喜怒哀楽の荒波に翻弄されることになります。フェイズ2。それは「見えざる瑕疵」の衝撃と波紋。うーん。やれやれ。

投稿者プロフィール

竹島靖
竹島靖
1960年生まれ。東京都在住。コピーライター、プランナー、日本住育の会代表。日本では導入例がきわめて少ない既存住宅性能表示を利用して耐震診断をおこない、中古住宅を購入。その後に耐震工事を実施。「日本住育の会」は、「よりよく生きるために、よりよく住まうことを学ぶ運動」をおこなう非営利の団体。2006年5月設立。
住育二部作の後編は、『危ない「住活」』(竹島靖著/竹書房新書/紙版2013年刊・電子書籍版2019年刊)。著作は、単著2冊および共著5冊で合計7冊。コピーライターとしては、宣伝会議賞金賞・銀賞・銅賞など15の賞を受賞。

【住育】じゅういく
①「住まい」に関する教育。
②キレない子どもをつくる、正しく子どもを導くなどに限らない、体系的な見識。
③知らないことは教えられません。子どもたちに「住育」する前に、まず大人が最低限の「住まい観」を養うべきです。
④よりよく生きるために、よりよく住まうことを学ぶ運動。
⑤たんなる営利目的の手段として「住育」が使われるときは、警戒が必要です。
(日本住育の会による定義/2007年10月現在)
category:住育のすすめ  |    |  2021.02.19

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